3年に1度の大規模な音楽祭「横浜音祭り」で2019ディレクター、新井鷗子肝いりの平日マチネ「ショパン〜永遠の貴公子をたどる」を9月18日、みなとみらい大ホールで聴いた。作曲家が19ー20歳のポーランド時代に書いた2曲の「ピアノ協奏曲」の第1番を實川風(かおる)、第2番を福間洸太朗が独奏、パリに出て以降の充実期の傑作「バラード」の第1番を福間、第4番を實川が休憩の前後に弾いた。管弦楽は原田慶太楼指揮の日本フィルハーモニー交響楽団。この日が原田の日本フィル・デビューにも当たるためソロ・コンサートマスターの木野雅之をはじめ、しっかりとしたメンバーがそろった。年齢も實川が30歳、原田が34歳、福間が37歳と、全員が男性演奏家として「いよいよ働き盛り」の充実期を迎えている。
まず感心したのは、原田の指揮。日本のオーケストラはかつて「大した管弦楽パートではない」との偏見に立ち、ショパンの協奏曲の長い前奏を大幅にカットしたうえ、かなり粗雑に演奏する傾向が目立った。原田は日本フィルではあまり見かけないし、自身が新日本フィルやN響との演奏会では採用しなかった対向配置を指定、チェロからコントラバスにかけての低弦セクションをピアニストの左耳に最も近いところへ持ってきた。實川は「普通の配置(アメリカ式とかストコフスキー式と呼ばれる)よりも低弦が間近に聴こえ、音の会話がしやすかった」といい、原田は「ショパンの管弦楽では低弦とピアノの一体感が基本と考え、この配置を採用した」と説明する。聴き手としても第1、第2ヴァイオリンが意外なほど独自に動くのを目撃できて、面白かった。
原田はこの土台を音色づくりにも生かし、パリに出る前の青年作曲家の土俗的な音色感、東欧的なサウンドイメージを明確に打ち出した。第1番第3楽章のクライマックスに現れる3連音のトゥッティ(総奏)に明確なアクセントを与えていたが、ポーランド出身の巨匠でショパンの協奏曲の伴奏指揮を複数のピアニストと残したスタニスラフ・スクロヴァチェフスキがN響と共演した際には、さらにスフォルツァンド(強いアクセント)をかけていた。理由を質問すると「私は同国人だから、下敷きとなったポーランドの舞曲のリズムを知っている。ショパンも『皆んなが知っていて当然』と考え、あえて記譜しなかっただけ。ただのフォルテを3回鳴らしても、意味がないのだよ」と教えてくれた。原田はポーランド人ではないし口承伝承の担い手に属する世代でもないが、きちんとした譜読みと優れた音楽的直感を頼りに、この部分の適切な処理に到達したのだろう。綿密に歌わせながら絶えずピアニストの打鍵を振り返って確かめ、ソロにピタリと合わせていた。ショパンの協奏曲伴奏で、これほど丁寧かつ様式を掘り下げた指揮を聴けただけでも、幸いだ。
ソロは2人のキャリアとキャラクターの差を鮮やかに映していた。實川はとても美しい音色の持ち主で一歩ずつ核心に迫っていくタイプだが、かねて思ってきた通り、スロースターターであるのが時々、もどかしくなる。協奏曲の第2楽章までは「彼なら、もっとできる」との思いを禁じ得なかったが、第3楽章ではきっちり、はじけてくれた。ピアノの鳴りも、格段に良くなった。スイッチさえ入れば、中に潜む激しいパッションまで一気に音楽が噴き出す。「バラード」第4番は圧巻だった。ショパンのソロ曲では最大規模(単体ではソナタの各楽章より長い)の作品に神がかりのような一瞬が現れ、今後の充実に大きな期待を抱かせた。福間は子供のころ最初に人前で弾いた協奏曲が「ショパンの2番だった」そうで、長く弾き込んできて作品を完全に手中に収めていた。「コンチェルト(協奏曲)」という言葉の響きに聴衆が抱く華やかなイメージ、指揮者やオーケストラとの丁々発止の駆け引きのスリルなども十分にわきまえ、第1番に比べやや地味な印象を与えがちな第2番に最高の輝きを与えていた。リズムの構造を一貫して明確に解析、推進力を維持するのも美点だ。30代半ばにさしかかるあたりから打鍵のパワー、ソノリティの厚みが格段に改善したことで、「バラード」に重量感が備わり、協奏曲のソリストとしての魅力も一段と増している。
告知を見たときは「若手揃い踏み」のガラ的演奏会を想像したが、実際にはショパンの業績を前面に押し出し、200年後の日本の若者たちがきっちり、その遺産を受け継ぎ発展させている実態を示す優れた企画だった。楽譜を何度も読み返し、作品の本質に一歩ずつ迫る基本を疎かにして、技だけに頼ると何が起きるのかを思い知ったのは、同じ日の夜である。
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