1927年生まれというから92歳、ヘルベルト・ブロムシュテットが今年も秋に桂冠名誉指揮者を務めるNHK交響楽団に現れ、ABCすべての定期公演シリーズを振ること自体、驚嘆に値する。私は2019年11月7日、サントリーホールのBシリーズ2日目を聴いた。5&6日の2日続きでティーレマン、オロスコ=エストラーダ指揮のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の素晴らしい名演奏を聴いた直後に国内トップとはいえ、N響と向き合うのは正直、とても心配だった。だが無数の現場経験を積んで余分な力が完全に抜けつつも気力は衰えず、オーケストラ音楽家(楽員)の能力を無理なく全開させる老練な指揮と、世代交代が進んで東京でも「最も(平均年齢が)若い」楽団となったN響の柔軟な反応、大先輩の思いを十全に体現しようとする積極的な姿勢が一分の隙もなく噛み合い、見事な演奏に終始した。
プログラムはライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団カペルマイスター(楽長)として、ブロムシュテットの8代前に当たるアルトゥール・ニキシュのアイデアをそのまま踏襲、前半にベートーヴェンの「交響曲第3番《英雄》」、後半にR・シュトラウスの「交響詩《死と変容》」、ワーグナーの「歌劇《タンホイザー》序曲」を置いた頭重尻軽のオーダー。日本では渡邉曉雄が好んで採用した方式だ。「英雄」は最初、あまりの脱力に面食らったが、次第に熱を帯び、第2楽章「葬送行進曲」では品格確か、滋味豊かな響きが広がった。音量は前日のミューザ川崎シンフォニーホール、オロスコ=エストラーダ指揮ウィーン・フィルの半分にも満たないのかもしれないが、おじいさんが静かな声で優しく孫に絵本を読み聞かせるような感触があって、思わず耳をそば立たせてしまう。ブロムシュテットとN響が奏でたのは現代オーケストラのヴィルトゥオージティ(名技性)のエクスヒビションではなく、互いの音を聴き合い、内容豊かな会話を延々と展開する「大きな室内楽」の世界だった。
室内楽的会話の深まりはやがて、「死と変容」のクライマックスで、ごく自然に大ホールを満たす大音量に到達した。陰影と光彩に富むシュトラウス管弦楽の醍醐味を存分に味わわせてくれた点で、当夜の白眉といえた。ブロムシュテットはオペラ指揮者とは異なるキャリアを歩み、独自の円熟境に到達しただけに、「タンホイザー」序曲は超あっさり。まるで、ステーキを食べた後の口直しに出されたソルベ(シャーベット)のような涼感を漂わせた。一晩のコンサートの余韻を楽しむには、この着地も悪くない。終演後の食事にはもちろん、刺身と日本酒の路線を選択した。あと何年かN響に戻ってきて欲しいと、切に願った。
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