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  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

大村博美ソプラノ・リサイタルの大輪花


終演直後の舞台袖で。ピアニストは「感無量じゃ」?

フランスを拠点に世界各地で「蝶々夫人」や「ノルマ」などの題名役として活躍する二期会のソプラノ、大村博美が2019年12月4日、東京・小石川のトッパンホールで単独リサイタルを開いた。同ホールの常連といえる歌手ながら、これまでは何人かとジョイントで、単独リサイタルは初めてという。ピアノにはイタリアの指揮者でトッレ・デル・ラーゴのプッチーニ・フェスティヴァル音楽監督のアルベルト・ヴェロネージが務める予定だったが、本番5日前に「高熱と激しい咳で、とても渡航できる状態ではない」とキャンセル、フランスで共演歴のある中野正克がパリから駆けつけ、急場を救った。


シドニー湾の野外上演(ラ・フーラ・デル・バウス演出)「蝶々夫人」を観にわざわざオーストラリアまで出かけた時は雷のために第1幕で打ち切りとなり、第2幕のアリア「ある晴れた日に」「可愛い坊や」を聴き損ねたし、二期会の「ノルマ」演奏会形式上演ではダブルキャストのソプラノを指揮者が降ろし、大村が24時間内に2度も難役を歌わなければならない状況に立ち会ったし、とにかく、彼女の出演は何らかのスリルなりリスクなりを伴う。三菱信託銀行(現三菱UFJ信託銀行)の元社長で熱心なオペラファンだった林宏氏が2002年に71歳で亡くなる直前、「友人の娘さんが《椿姫》で主役デビューするから是非、聴いてほしい」と言われ、二期会の上演に出かけたのが、大村の声に接した最初だから、もう17年も聴き続けてきた。年々歳々スケールを増し、今や堂々のプリマドンナである。熱心なカトリック信者というのも関係するのだろうか、歌の芯にはいつも、強い祈りを感じる。


トッパンホールのリサイタルはリストの「ペトラルカの3つのソネット」で始まった。続くトスティの「あなたが望むなら」ともども、いきなリフルスロットルの熱唱で、歌曲リサイタルのはずがアリアの夕べに豹変、ヘルデンテノールのルネ・コロがウルトラ劇的に歌ったシューベルトの「冬の旅」を思い出してしまった。ものすごく丁寧に紡いでいた高音域のピアニッシモの魅力は魅力として、私の耳がフォルテッシモの方に吸い寄せられてしまったったともいえる。急なピアニストの変更、単独リサイタルへの緊張感などが「大振り」に作用したと思われ、デュパルクの「フィデレ」、R・シュトラウスの「解き放たれて」(「5つの歌」作品39の第4曲)では、かなり落ち着きを取り戻して、ひと安心。休憩後はアーンの「私の詩(うた)に翼があったなら」で静かに始め、グノーの歌劇「ファウスト」からマルグリートのアリア「宝石の歌」で一気にプリマドンナのエンジンを全開、「太陽と愛」「そして小鳥は」の歌曲2つを経て歌劇「トスカ」からトスカのアリア「歌に生き、愛に生き」へと至るプッチーニのパート、最後に置かれたジョルダーノの歌劇「アンドレア・シェニエ」からマッダレーナのアリア「私の亡くなった母が」で第一線で活躍するプリマドンナの力量をフルに発揮した。中野のピアノも手堅かった。


イタリア語、フランス語、ドイツ語の発音にムラがなく、すべて自身の表現として消化しているのは大歌手なら当たり前とはいえ、なかなかないことだと感心した。ただ、座席数408の室内楽ホールに最適の声量や表現の吟味が足りず、豊麗過ぎる声量がせっかく練り上げた解釈の深さを伝わりにくくしてしまったことは、個人的には課題と思えた。いわゆる「オペラ歌手の歌曲コンサート」にありがちなイタリア古典歌曲、近代歌曲、アリア大会の定型を脱し、本格的リサイタリストとして考え抜かれ、掘り込まれたプログラミング自体は今後に大きな期待を抱かせる。大村にしか表現できない深く、温かな世界の感触も随所に漂っていただけに、一層の精進を望みたい。

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