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執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

エラス=カサド、N響定期デビュー見事


自作の「幻想曲」はすでに第2番で、作品番号は6!

1977年11月にスペインのグラナダで生まれた指揮者、パブロ・エラス=カサドは2009年にサントリーホール・サマーフェスティバルでNHK交響楽団(N響)を初めて指揮した。楽曲は3人の指揮者を必要とするシュトックハウゼンの大作「グルッペン」でスザンナ・マルッキ、クレメント・パワーとの共同作業だった。次は2011年のMusic Tomorrowで尾高尚忠「フルート小協奏曲」(独奏=神田寛明)、デュティユー「コレスポンダンス」(ソプラノ独唱=バーバラ・ハンニガン)とともに「尾高賞」受賞作、西村朗の「蘇莫者(そまくしゃ)」、別公演ではシベリウスの「交響曲第2番」などを指揮した。海外では同じ2011年、細川俊夫のオペラ「松風」をブリュッセルの王立モネ劇場で世界初演している。当時は日本人作曲家まで網羅した同時代音楽のスペシャリストのイメージが強かったが、ピリオド(作曲当時の仕様の)楽器のフライブルク・バロック・オーケストラやヴァイオリンのイザベル・ファウスト、ピアノのアレクサンドル・メルニコフらと共演した原典志向の古典派〜ロマン派音楽のレコーディングで次第に評価を高めてきた。2019年には首席客演指揮者を務めるマドリッドのレアル劇場でワーグナーの楽劇4部作「ニーベルンクの指環」のツィクルスも開始。そして今回、2019年12月のBシリーズで待望のN響定期デビューが実現した。


12月11日の初日をサントリーホールで聴いた。R=コルサコフの「スペイン奇想曲」、リストの「ピアノ協奏曲第1番」(独奏=ダニエル・ハリトーノフ)、チャイコフスキーの「交響曲第1番《冬の日の幻想》」の3曲。チャイコフスキーは6日前、同じホールでワレリー・ゲルギエフ指揮マリインスキー劇場管弦楽団で聴いたばかり、N響の歴史には1980年1月定期で旧ソ連から「西側」へ亡命した直後の大指揮者、キリル・コンドラシンとの一期一会の壮絶な共演の記録もあり、キング・レコードの「N響伝説のライヴ」シリーズでCD化されている。エラス=カサドが近くはゲルギエフ、遠くはコンドラシンというロシア=ソヴィエト系マエストロの影を振り払い、強い印象を残すハードルは一見、高いと思われた。


「スペイン奇想曲」はスペイン人としての自身のアイデンティティー(同一性)とロシア音楽、ロシア人共演者をつなぐブリッジだろうか? エラス=カサドは世代交代が進んで機能性を高めたN響のアンサンブルを自在に操り、クラリネットの松本健司をはじめとする管楽器奏者の名人芸を際立たせながらも、決して「濃い」音楽とはせず、ラヴェルの「スペイン狂詩曲」に一脈通じる近代管弦楽の傑作として、リムスキーを再現した。


続くリストのソリスト、ハリトーノフは前回2015年のチャイコフスキー国際コンクールのピアノ部門に第3位に入ったとき16歳だったから、今年まだ20歳。ダンサーを思わせる長身、小顔のイケメンの長い脚で第1ヴァイオリンの「ひな壇」を軽やかにジャンプして現れた。私の周囲の女性客たちが、にわかに活気づく。リストの協奏曲は、いかにも新進ヴィルトゥオーゾ(名手)という感じの弾き方。大きな手で鍵盤を激しく、猛スピードでたたきまくって最強音が濁るし、急激過ぎるオクターブでいくつか音が抜ける。半面、第2協奏曲の方に強く感じる「夜の音楽(ナハトムジーク)」の陰影を第1番からもしっかりと引き出すなど、音楽的に深い要素も備えており、今後に期待すべき逸材だろう。長く音楽を聴き込んできた高齢層が多いN響定期会員の耳は確かで、ピアニストの熱演にもかかわらず、拍手は冷静だった。エラス=カサドは初演当時に「トライアングル協奏曲」と揶揄されたケバケバしさを極限まで抑え(トライアングルの音量も)、切れ味の鋭さで聴かせた。ピアニストのアンコールは不思議な感触。休憩時間の掲示で、ハリトーノフの自作と知った。大胆不敵!


チャイコフスキーに関しての「ハードル高そう」の危惧は、杞憂に終わった。エラス=カサドは暗譜で臨み、すでに楽曲の隅々まで知悉している様子。音づくりの基本を繊細なピアニッシモに置き、弦楽器の透明度、管楽器の細やかな表情など日本のオーケストラならではの音色美を徹底的に生かす。マリインスキーが一面の雪景色を想起させ、コンドラシンが望郷の念を歌い上げたのに対し、エラス=カサドは若き日のチャイコフスキー自身がモーツァルト直系の西欧音楽の継承者を自認、イタリアやスペインなど南欧への憧れを抱き続けた側面から楽曲を再構築した。第3楽章で、川本嘉子が首席客演に座ったヴィオラ・セクションに克明な指示を与え、非常にくっきりとしたリズムを現出させたのをはじめ、タクトを持たない指揮ぶり自体がヴィルトゥオーゾのレヴェルに達していると思う瞬間が多々あった。最後まで〝胃もたれ〟する濃厚ロシア節を避け、青年作曲家の夢=幻想を多感に描き尽くした点で、新時代の解釈の称賛に値する名演。客席もストレートに反応し、数多くの「ブラヴォー」が飛び交った。トゥガン・ソヒエフと並び、定期的に登場してほしい指揮者の1人だ。

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