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執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

フェスタサマーミューザKAWASAKI、2021は持続する共生社会へ扉を開いた

更新日:2021年8月10日


9公演!(神奈川フィルのプログラムを置き忘れたなり)

ミューザ川崎シンフォニーホールが主催する「フェスタサマーミューザKAWASAKI2021」が8月9日、19日間の会期を終えた。コロナ禍の下での開催は2年目となり、感染症対策に万全を期しながら、座席数を工夫した有観客公演と有料動画配信の2本立てで今年も乗り切った。ほぼ全部の演奏会でオーケストラのメンバーがはけた後まで拍手が続き、指揮者(場合によってはソリスト、コンサートマスターを帯同)が舞台に呼び戻された。お客様の鷹揚で温かな雰囲気もまた「音楽のまち・かわさき」の貴重な財産に育った、といえる。今年のフィナーレでは川崎市とブリティッシュ・カウンシルが組み、特別支援学校の子どもたちとプロの音楽家が障がいの有無にかかわらず、テクノロジーも活用しながら演奏や楽曲づくりで力を合わせてきた「かわさき=ドレイク・ミュージック アンサンブル プロジェクト」の成果発表もホールのフランチャイズ、東京交響楽団と正指揮者・原田慶太楼のコンサートに組み入れられた。オーケストラが単なる名曲の提供にとどまらず、持続可能な共生社会の中で果たすべき役割を示唆し今後への扉を開いた点でも、画期的な幕切れだった。それぞれのコンサートは終演後、Twitterで発信した寸評を貼り付けながら、振り返ってみたい。


7月22日 東京交響楽団 オープニングコンサート

指揮=ジョナサン・ノット、ピアノ=萩原麻未、コンサートマスター=グレブ・ニキティン

三澤慶「音楽のまちのファンファーレ」〜フェスタサマーミューザKAWASAKIに寄せて

ラヴェル(マリウス・コンスタン編)「夜のガスパール」(管弦楽版)

ヴァレーズ「アルカナ」

ラヴェル「ピアノ協奏曲」(両手)

ガーシュイン「パリのアメリカ人」(初演版) 


フェスタサマーミューザ川崎2021オープニングコンサートでも東響音楽監督ジョナサン・ノットは攻める!ヴァレーズ「アルカナ」はホルン8人、ガーシュイン「パリのアメリカ人」はサックス3人。ラヴェルをはさみパリ、ニューヨークを往復しながら拡大する音楽の饒舌と輝きに意外な暑気払いの効果あり!


※フランスからアメリカに渡ったヴァレーズ、アメリカ演奏旅行でジャズの洗礼を受け、ガーシュインと出会ったラヴェル、ラヴェルやベルクに教えを乞うためヨーロッパを旅したガーシュイン…〝中立的立場〟の英国人ノットが2つの大陸を往き来する作曲家群像を1つの絵巻にまとめた。「ガスパール」管弦楽版はレナード・スラトキン指揮リヨン管弦楽団のCD(ナクソス)を聴いたことはあったが、実演は初めて。あまりにも完成されたピアノ曲なので、ラヴェル自身の編曲ならまだしも、後世の作曲家・指揮者コンスタンには荷が重かったように思えてならない。ものすごい重量級プログラムで、幸先いいスタートを切った。


7月25日 オーケストラ・アンサンブル金沢

指揮=井上道義、ヴァイオリン=神尾真由子、コンサートマスター=アビゲイル・ヤング

シューベルト「交響曲第4番《悲劇的》」

プロコフィエフ「ヴァイオリン協奏曲第1番」「古典交響曲」


オーケストラ・アンサンブル金沢@ミューザ川崎の夏。指揮は井上道義に変わり、神尾真由子がプロコフィエフ「ヴァイオリン協奏曲第1番」を独奏。彼女のロシア物の鋭さと濃さはもはや、憑依以上の凄みに達している。「古典交響曲」は師チェリビダッケの十八番だったけど、井上の再現も実にエレガント。


※当初予定の外国人指揮者に代わり、前音楽監督の井上が国内ツアー全体を率いた。シューベルト「悲劇的」は意外にも初レパートリーとかで、ミッキー流エレガンスを発揮するまでに至らず。プロコフィエフは感覚的に冴え、キレキレの音で魅了した。神尾のロシア音楽は聴く側の好き嫌いはあるにせよ、やはり圧倒的な説得力を持つ。アンコールに武満徹が映画「他人の顔」(1966年東宝=安部公房原作、勅使河原宏監督)のために書いた「ワルツ」が演奏されたのは望外の喜び。やっぱりミッキーはキレる!


7月26日 東京都交響楽団

指揮=カーチュン・ウォン、チェロ=岡本侑也、コンサートマスター=山本友重

リスト「交響詩《前奏曲(レ・プレリュード)》」

チャイコフスキー「ロココの主題による変奏曲」

ドヴォルザーク「交響曲第9番《新世界より》」


シンガポールの指揮者カーチュン・ウォンの都響デビューはミューザ川崎のフェスタサマーで。チャイコフスキー「ロココ変奏曲」は岡本侑也の卓越したチェロ独奏に暗譜でピタリとつけ、ドヴォルザーク「新世界」ではフレーズを大きく揺らしながら切れ味にも事欠かず、鮮やかな音像。やはり只者ではない。


※何人かのメンバーが霧島国際音楽祭、PMFオーケストラJAPANなどに参加していたためホルンに東京フィルの高橋臣宜、クラリネットに神奈川フィルの齊藤雄介、チェロに同じく神奈川フィルの門脇大樹…と首席奏者に他オケからのエキストラ出演が目立ち「神奈川仕様」の都響。ウォンの奥様は日本人で神奈川県が実家なので、ますますスペシャルオーダーに思えてくる。それが逆にデビュー公演の成功の一因にもなったようで、いつもと少し違うワイルドな都響を聴けた。岡本はアンコールのカタルーニャ民謡「鳥の歌」も含め、どこまでも滑らかで美しい音を奏で、音楽の核心にスーッと迫っていく。


7月31日 東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団

指揮=高関健、コンサートマスター=戸澤哲夫

スメタナ「連作交響詩《わが祖国》」全曲


高関健指揮東京シティ・フィル@フェスタサマーミューザのスメタナ「我が祖国」。神奈川県の感染症対策強化に伴い弦の人数を絞ったことで響きが引き締まり、高関の随所に工夫を凝らした譜読みの意図が鮮明に。オケとの意思疎通も素晴らしく誰の真似でもない、今の私たちの「祖国」への思いを代弁した。


※前半は〝溺れない〟高関らしく幾分の物足りなさを感じさせもしたが、聴き終わって逆算すれば名曲中の名曲、第2曲「モルダウ」で盛り上がり過ぎると全曲のキモである最後の2曲、第5曲「ターボル」と第6曲「ブラニーク」に描かれたフス教徒の英雄的闘いの感動が薄まってしまうとの配慮から割り出された見事な演奏設計だった。高関は「楽譜マニア」ともいえる学究肌で冷静な指揮者と思われがちながら、昔からドヴォルザークやチャイコフスキーなど国民楽派への思い入れが強く、かなり聴く者の心に刺さる演奏をする。それは今回、コロナ禍で疲弊する2021年夏の日本人の心情に寄り添う「祖国」像のように響いた。 8月3日 神奈川フィルハーモニー管弦楽団 指揮=鈴木秀美、ヴァイオリン=郷古廉、コンサートマスター=﨑谷直人

ドヴォルザーク「序曲《謝肉祭》」

シューマン「ヴァイオリン協奏曲」 ドヴォルザーク「交響曲第8番」 鈴木秀美指揮神奈川フィル@フェスタサマーミューザKAWASAKI。郷古廉が独奏したシューマン「ヴァイオリン協奏曲」は内面への沈潜が次第に狂気を帯びながら最後は一転、ドイツの田園風景と一体の童心へと回帰するドラマトゥルギー、とりわけ鈴木ともども踏ん張った第3楽章の遅い運びが素晴らしかった。 ※「謝肉祭」の出だしからして気力満点、タンバリンに至るまで全てがピタリと決まる。交響曲は最近出版された初稿版に基づく演奏で、第4楽章冒頭のトランペットなどに従来とは違う響きを聴いた。郷古に「遅い運び」の真意を尋ねると「実はあれで、楽譜の指示通りのテンポなのですよ!」と返してきた。慌てて速度記号を確認すると「Lebhaft, doch nicht schnell(生き生きと、しかし速くなく)」とある。これまではLebhaftに偏りdoch(しかし)の警告を軽視、relativ schneller(心持ち早め)な解釈が多かったのだと推測する。 8月4日 京都市交響楽団 指揮=広上淳一、ヴァイオリン=黒川侑、チェロ=佐藤晴真、コンサートマスター=石田泰尚 ブラームス「ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲」 ベートーヴェン「交響曲第3番《英雄》」 京都市交響楽団のフェスタサマーミューザ初出演。かつて柴田南雄は「関係が長くなると音色も指揮者の声に似てくる」と指摘した。2008年から共同作業を続ける広上と京響の一体感は強く、ベートーヴェン「英雄」では現在の広上の心境や体調、さらにはコロナ禍の日本社会を映したかのような響きを聴いた。


※柴田がコメントしたのはヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルの同じく《英雄》ライヴ録音。カラヤンのダミ声が音色にも刷り込まれるほど、指揮者とオーケストラが一体化している状況を説明したのだった。決して悪口ではなく、広上のちょっとした即興にも一切の時差なく応じ、すべての表現を共有する状態の素晴らしさは今回の参加オーケストラ中でも群を抜いていた。第2楽章「葬送行進曲」の悠然と深く、心に沁みる音楽は特に印象に残る。協奏曲は2人のソリストとも初めてのレパートリーといい、いつもより慎重な姿勢が目立った。広上は丁寧にサポートしようとする余り、場面場面を区切るように振り過ぎ、ブラームス特有の熱く大きな〝うねり〟を欠いたのが物足りなかった。 8月5日 東京ニューシティ管弦楽団 指揮=飯森範親、ピアノ=金子三勇士、コンサートマスター=執行恒宏 バルトーク「ピアノ協奏曲第3番」 マーラー「交響曲第5番」 飯森範親指揮東京ニューシティ菅@フェスタサマーミューザKAWASAKI。前夜の広上&京響がみせた指揮者とオケ一体の強い求心力や表現を飯森が次期音楽監督として、どこまで究めて行けるのか。うんと背伸びしたマーラー「第5」交響曲は、今後の飛躍を見据えた壮大な決意表明の舞台だったと理解したい。 ※金子のピアノには絶えず温もりがあり、3曲あるバルトークの「ピアノ協奏曲」では3番が最もよく似合う。幾ばくかの翳りを伴い「夜の音楽」ともいえる匂いが漂う。大編成の管弦楽と張り合うには、もう少し音量と厚みがあって良いと思える瞬間もあったが、解釈が明快なので大した問題にはならない。アンコールのリスト「コンソレーション」では美しく、柔らかく繊細なピアニズムの魅力が一層よく発揮された。メインのマーラー、指揮者の想定外の体調不良で方向性の定まらない演奏に終始したのは残念。もともとバトンテクニックで引っ張って行くタイプなので、フィジカルな条件が崩れると、音楽の内容まで希薄になる。 8月6日 東京フィルハーモニー交響楽団 指揮=アンドレア・バッティストーニ、ハープ=吉野直子、コンサートマスター=近藤薫 ヴェルディ「歌劇《シチリア島の夕べの祈り》序曲」 レスピーギ「組曲《シバの女王ベルキス》」 ニーノ・ロータ「ハープ協奏曲」 レスピーギ「交響詩《ローマの松》」 バッティストーニ指揮東京フィル@フェスタサマーミューザのイタリア音楽。吉野直子独奏のロータ「ハープ協奏曲」はモダニズムとメランコリーのバランスが絶妙。レスピーギ2曲では弱音の集中、内面性、頂点までの飛距離伸長にアンドレアの進境を実感した。「ローマの松」の格調高さ!楽員も晴れ晴れ。 ※ヴェルディの序曲が始まった途端、イタリアの空気がミューザを満たす。コロナ禍による長い不在を経て今年1月、首席指揮者の仕事に復帰して以来、アンドレアと東京フィルの共同作業は明らかに別次元へ入り、はっきりとした音色の個性と一体感が生まれつつある。振り方にも無駄がなくなり、弱音の掘り下げと強音の拡張によってダイナミックレンジと陰影が大きく進化した。吉野のソロは相変わらず完璧、ロータ作品の紹介者というミッションを最高の水準で成し遂げた。こんなオマケもありました↓ 「ローマの松」が終わり、家路を急ぐ老夫婦がオルガン下手(客席から見て左)の金管バンダ横を通り抜ける瞬間、東京フィル楽員2人がお辞儀をしながら爺さん婆さんに来場と鑑賞への謝意を率直に現した。バッティストーニに視線が集中していた多くのお客様は気づかなかっただろうけど、ちょっと良い場面。 8月9日 東京交響楽団 フィナーレコンサート 指揮=原田慶太楼、弦楽四重奏=カルテット・アマービレ(ヴァイオリン=篠原悠那、北田千尋、ヴィオラ=中恵菜、チェロ=笹沼樹)、コンサートマスター=水谷晃 ヴェルディ「歌劇《アイーダ》から凱旋行進曲とバレエ音楽」 かわさき=ドレイク・ミュージック アンサンブル「かわさき組曲〜アイーダによる」(世界初演) J・アダムズ「アブソルート・ジェスト」 吉松隆「交響曲第2番《地球(テラ)にて》」 フェスタサマーミューザのフィナーレは原田慶太楼指揮東京交響楽団。特別支援学校を対象にしたドレイク・ミュージック制作の「かわさき組曲」初演が開いたダイバーシティは、耳の障がいと闘ったベートーヴェンを素材にしたアダムス(カルテット・アマービレ好演)、地球上の平和を願う吉松隆へと展開! ※「かわさき組曲」は《アイーダ》に受けたインスピレーションから出発、テクノロジーも活用しながら4曲の美しい組曲を仕上げた。子どもたちはコロナ禍でオーケストラと共演はできなかったが、客席で聴いた。東響は渾身の演奏で何か、大切なものを懸命に伝えた。

パイプオルガンには各曲の色が投影され、最後は多様性を象徴する虹色(レインボウ)に。カルテット・アマービレをソロに迎えたJ.アダムズの「アブソルート・ジェスト」は耳の障がいと闘った作曲家ベートーヴェンのとりわけ後期の楽曲を引用し、そのミニマルな鼓動は吉松の壮大な交響曲で世界、地球に向けた平和への願いに昇華する。アマービレも原田も東響も吉松も心を一つにした強いメッセージを放ち、忘れがたい大団円に至った。

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