日本フィルハーモニー交響楽団第746回定期演奏会(2日目=2022年12月10日、サントリーホール)
指揮=下野竜也、テノール=糸賀修平※、コンサートマスター=扇谷康朋
フィンジ「入祭唱」
タネジ「3人の叫ぶ教皇」
フィンジ「武器よさらば」※
ヴォーン=ウィリアムズ「交響曲第6番」
愛知室内オーケストラ特別演奏会「ACO20周年特別企画Part3〜東混シリーズ第2回」(2022年12月14日、愛知県芸術劇場コンサートホール)
指揮=山下一史(音楽監督)、ソプラノ=森谷真理、メゾソプラノ=池田香織、テノール=福井敬、バリトン=黒田博、合唱=東京混声合唱団(合唱指揮=キハラ良尚)、コンサートマスター(客演)=執行恒宏
ヴェルディ「レクイエム(死者のためのミサ曲)」
下野は1969年生まれ、山下は1961年生まれ。ともに早くに頭角を現し、内外さまざまのオーケストラの指揮台に招かれてきた。率直に言って、それぞれの同世代にはスター指揮者も多く、2人とも〝出世レース〟(もはや化石になったと思いたいほど、嫌な言葉だ)のトップランナーだったわけではない。だが時間をかけて音楽性を深め、納得いくレパートリーを究め、どんなオーケストラを相手にしても自身の音楽を主張できるスキルを蓄えてきた。最上の意味における「職人指揮者」の地盤を固めた今、下野は広島交響楽団の音楽総監督、山下はACOと千葉交響楽団の音楽監督と大阪交響楽団の常任指揮者として、日本の音楽シーンに欠かせない存在だ。いささか不遇かと思われた時期、「真価を認めてほしい」の一心からかもしれなかっただろう力みも消え、聴き手の側からも安心して身を委ねられるマエストロとなった。
日本フィル定期は全曲イギリス音楽、3人の作曲家それぞれが「戦争」と向き合った作品で固める異色のプログラミング。下野はアウエーの楽団をしっかりと鳴らし、揺るぎなく自分の音楽を造形する。私が実演に接するのはどの曲も初めてだったが、隅々まで彫り込まれ、あっという間に時間が過ぎていった。第一次世界大戦を映したフィンジ、第二次世界大戦に強く怒り、祈りへと向かうヴォーン=ウィリアムズ、弾圧への普遍の怒りを描いたタネジそれぞれのスタイルは異なるが、演奏会全体に一貫した主張が流れる。16ー17世紀のイングランド詩人のテキストに基づく「武器よさらば」では新国立劇場「ピーター・グライムズ」(ブリテン)でも健闘した糸賀が水際立った英語歌唱を披露、深い感銘を与えた。もちろん下野はラザレフにパワー、インキネンに緻密さを授かった日本フィルのアンサンブルのポテンシャルをフルに引き出し、オーケストラを聴く醍醐味としても申し分なかった。コンマス扇谷のソロも秀逸。
ACO特別演奏会。編成は第1ヴァイオリン10人といつもより大きめだが、「ヴェルレク」としては60人の合唱団も含めて小ぶり。山下は1985ー1989年にカラヤンのアシスタントを務め、「帝王」の十八番だったこの曲にも多くのアイデアを授かった。スコアには膨大な書き込みがあるという。今回の演奏会はオーケストラ、独唱者、合唱団員、指揮者の全員が日本人だった。日本人の宗教は2018年のNHKの調査によると31%が仏教、3%が神道、1%がキリスト教らしいが、ふだん全く意識しない人も多く、本当のところはわからない。だが「祈り」や「世界平和への願い」は宗派・宗教の違いを超えた人類普遍の感情だろう。ふだんオペラの主役でお馴染みのソリスト4人、常任指揮者キハラが精妙に整えた東混、ACOの1人1人が山下の丁寧で真摯きわまりない指揮に心を寄せ、日本人の穏やかな感情の束が1つになり、いつしか大きな音楽の渦へと昇華した。パシフィックフィルハーモニア東京のコンサートマスター、執行の客演リードもこうした状況を適確に捉え、優れていた。
効果狙いの大音量で人を圧倒することも、自分たちの宗教だけが正しく偉大と押し付けることもなく、ただひたすら、祈りに祈りを重ねていくことにより、これほどまでに深く大きな音楽が現れるとは考えてもみなかった。ルイージ指揮NHK交響楽団、外来ソリストによる壮大な演奏とは全く異なる角度から、互角と言って良い説得力を放つ名演が生まれた。演奏を聴きながらウクライナ事変、韓国の圧死事故といった惨事から身近な人の他界に至るまで、今年1年の間に失われた命の数々、人々の顔に思いを寄せていた。極めてパーソナルなタッチで迫る日本人の「ヴェルレク」は、年の瀬にふさわしい感動の音楽体験でもあった。名古屋では珍しいスタンディングも交え、客席の拍手が延々と続いたのも納得できる。この90分のためだけに1泊の日程でやって来て、本当に良かった。
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