12日前(2019年11月18日)に「邦人ピアニスト強化週間」と題し、4人の日本人ピアニストのレビューを一括掲載した。
月末までにさらに2人、1990年と同い年生まれの山中惇史と齊藤一也を聴いたので、「週間」は「月間」に昇格して終わった。
5)山中惇史「ピアノ・リサイタル〜刻印された時、風景〜」
(2019年11月28日、浜離宮朝日ホール。使用ピアノ=ニューヨーク・スタインウェイ)
本編=山中惇史「プロムナードⅠ〜《太郎の時》より」、J・S・バッハ「トッカータニ長調BWV.912」、ドビュッシー「版画」、山中惇史「太郎の時〜《プロムナードⅡ》《太郎の赤》《ジャズの時》」、ムソルグスキー「組曲《展覧会の絵》〜ヴィクトル・ガルトマンの思い出に〜」
アンコール=ショパン(ミハウオフスキー〜ゴドフスキ〜山中惇史編)「子犬のワルツ・パラフレーズ」
山中は1990年愛知県岡崎市生まれ。東京藝術大学音楽学部作曲科の学部、大学院修士課程を終えた後、学部の器楽科ピアノ専攻になお在学中のコンポーザー&ピアニストだ。昭和の偉大なアーティスト、岡本太郎の遺した言葉に衝撃を受け、美術作品にも触れた上で組曲「太郎の時」を作曲する際、ムソルグスキーが友人の画家ガルトマンの遺作展に想を得て書いた「展覧会の絵」をレファレンス(参照文献)とした。ロシアの作曲家の名曲を特徴づける「プロムナード」を自作にも採用、冒頭に「Ⅰ」、「太郎の時」世界初演の前に「Ⅱ」を置き、リサイタル全体に統一性を持たせた。故郷岡崎では校歌や駅のイメージソングなどの機会音楽の作曲も請け負った実績もあり、基本は平易な装いながら、現代音楽の鋭さも秘めたなかなか達者な作曲である。「ジャズの時」の熱狂の背後に「展覧会の絵」が見え隠れするアイデアも、聴く者の耳を自然に惹きつける効果を発揮した。
ピアノの恩師の江口玲の影響か、タカギクラヴィア所蔵のニューヨーク・スタインウェイを持ち込んだのも正解だった。最初の音を聴いた瞬間、「音が綺麗だ」と思ったが、ムソルグスキーからアンコールにかけてはパワフルな打鍵、超絶技巧を兼ね備えている実態も明らかにした。ピアニストとしての可能性も、なかなか大きそうだ。ただバッハでは古典的奏法やピリオド楽器への理解の不足、アーティキュレーションの曖昧さ、ドビュッシーでは「形」の定まらなさが少々気になった。「太郎の時」以降の演奏が抜群に良かった事実に照らせば、自作世界初演のプレッシャーで、腰が座りきらなかったとも考えられる。ムソルグスキーは当初、コテコテのホロヴィッツ版に自身でさらに手を入れるつもりだったが、読譜を深める課程でオリジナルの発想の偉大さ、深さに目覚め、ほぼ原曲通りに弾いた。最初の「プロムナード」から最後の「英雄の門(古代の首都、キエフにて)」まで緊張は全く途切れず、大きな絵巻物をみる思いがした。また聴いてみたい、面白い才能との出会いだった。
6)齊藤一也「ピアノ・リサイタル〜韮崎市制施行65周年記念公演・韮崎ゆかりのアーティストシリーズ」
(2019年11月30日、東京エレクトロン韮崎文化ホール。使用ピアノ=ハンブルク・スタインウェイ)
本編=J・S・バッハ「カンタータBWV.147より《主よ、人の望みの喜びよ》」、ベートーヴェン「サリエリの歌劇《ファルスタッフ》より二重唱《まさにその通り》の主題による10の変奏曲」、シューマン「謝肉祭」、青木進「子どものためのピアノ作品集《午後のスケッチ》(1《陽だまり》2《夕立》3《虹の架け橋》」、ラヴェル「水の戯れ」、ドビュッシー「前奏曲集第2巻より第12曲《花火》」「ベルガマスク組曲より第3曲《月の光》」、メシアン「《幼児イエスの20の眼差し》より第10曲《喜びの聖霊の眼差し》」、リスト「《巡礼の年第1年・スイス》より第9曲《ジュネーヴの鐘》」「《パガニーニ大練習曲》より第3番《ラ・カンパネッラ(鐘)》」
アンコール=ショパン「夜想曲第2番」「ポロネーズ第6番《英雄》」、リスト「3つの夜想曲《愛の夢》第3番(おお、愛しうる限り愛せ)」、モーツァルト「ソナタ第11番K.331より第3楽章《トルコ行進曲》」
齊藤も1990年生まれ、サッカー選手から世界一優雅な旅人に変身した中田英寿と同じ南アルプス山麓、山梨県韮崎市の出身である。東京藝術大学音楽学部を卒業した2011年に欧州へ留学、パリ国立高等音楽院第2修士課程を審査員満場一致の最高成績で終え、2017年からはベルリン芸術大学修士課程ピアノソリスト科でさらなる研さんを続ける。私は2006年の第4回東京音楽コンクールの本選審査員として齊藤の演奏を初めて聴き「若い(当時16歳)のに随分、思慮深い演奏をする」と感心した半面、「ソリストとしての押し出しがまだ足りない」とも思った。他の審査員の思いも同じだったのか、結果は1位なしの2位(最高位)。13年後の今年6月、財団法人地域創造の公共ホール音楽活性化事業の派遣演奏家オーディションで再び審査員として、29歳になった齊藤の演奏と再会した。「くさい芝居」や「はったり」と無縁の誠実な演奏は相変わらずだが、それが確かな「品格」を備えるに至り、欧州で蓄積した知識や経験の豊かさに目を瞠った。結果は「合格」。ベルリンと日本の往復は大変だが、今後は国内のアウトリーチの分野での活躍にも期待しよう。
7月11日には若手演奏家のガラ@王子ホール、インゴルフ・トゥルバン門下の鈴木舞(ヴァイオリン)とのデュオでR・シュトラウスの「ヴァイオリン・ソナタ」第3楽章を聴き、柔軟な室内楽奏者の側面こそ確認したものの、「もっと本格的に齊藤のピアノを聴きたい」との欲求不満が残った。その後、一度ゆっくり話す機会を得た折に故郷・韮崎でのリサイタルの予定を聞き、「絶対に出かける」と決めた。クラシック音楽に親しみのない人々に配慮、解説トークを交えたコンサートでも芸術上の信念を貫く構えの齊藤はプログラミングを何度も練り直し、前半ドイツ音楽、後半フランス音楽中心の構成を最終的に固めたのは、本番の5日前だった。土曜日の中央道は混んでいて、新宿から3時間近くかけてたどり着くと、すでに大勢の人々が集まっていた。地元では幼少より、ピアノの才を注目されていたらしい。A4判2ページに及ぶ詳細な楽曲解説を書き下ろし、後半のラヴェルでは終の住処の窓から見える景色、ドビュッシーではセーヌ川の夜景、メシアンではシャガールのステンドグラスと自身が撮影した写真をステージに映し、とっつきにくい曲への敷居を懸命に下げていた。
トークでの解説もわかりやすかったが、高齢者には少々聞きづらかったかも。脚を開いたり閉じたりしながら左右に絶えず動く癖は、直した方がイケメンぶりも映えるに違いない。
肝心の演奏。バッハのコラールの心優しさ、ベートーヴェンとシューマンの踏み込み良さにも増して、ラヴェルとドビュッシー、メシアンでの音色の多彩さ、特に右手のキラキラした輝きに耳を奪われた。リストではヴィルトゥオーゾ(名手)としての資質も、しっかり示してみせた。上半身が非常に安定していて、肩から肘にかけての脱力も行き届き、肘から手、指にかけての柔軟性が多彩な音のパレット、芯の入ったピアニッシモ、広いダイナミックレンジ、張りのあるフォルテッシモなどの自在なコントロールを可能にしている。「小学校時代からの(ヤマハ音楽教室の)恩師」の青木進の作品は「子どものため」にもかかわらず、第2曲「夕立」などは極めて高度な技巧を要求しており、学習初期からハードルの高い先生に師事できたことが、齊藤の今をつくったのだと知った。アンコールは、客席から集めた投票用紙のリクエストに基づくもの。「皆さん、ショパンがお好きなようです」といい、2曲弾いた。「トルコ行進曲」もリクエスト対応だったが、不意打ちのようなリタルダンド、スビトピアノといったエンターテインメント性もまた、渡欧後に広げた芸域の一端だろう。ちなみに私のリクエスト、ジョン・ケージの「4分33秒」は不採用だった(当然か、笑)。
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