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執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

読響「ヴァイグレ月間」強まった関係、日本人若手ソリストとの協調にも成果


2020年12月19日の定期演奏会で15か月ぶりに読売日本交響楽団と共演するため、待機期間を含め11月中旬から日本に滞在してきたドイツ人常任指揮者セバスティアン・ヴァイグレ。年末7公演の「第九」(ベートーヴェン「交響曲第9番《合唱付》」)を経て、「読響メンバーとの共同作業はさらに噛み合いだし、結びつきが強まった気がする」という。1月の3プログラム4公演を通じても非常に洗練され、味わい深い音楽を聴かせた。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の拡大に歯止めがかからず、いくつか変異種も現れて再び人の往来に制限が加わったなか12月以降、来日不能となった外来ソリストの代役も含め4人の若い日本人器楽奏者とたて続けに共演し、「大きな発見と手応えがあった」という。


2021年1月に私が聴いたのは、次の3公演。3通りのプログラム(と年末の「第九」)に関する本人のコメントは、「WEBぶらあぼ」の拙稿をご参照されたい:


1)第234回土曜マチネーシリーズ(1月9日、東京芸術劇場コンサートホール)

R・シュトラウス「交響詩《ドン・ファン》」

ブルッフ「ヴァイオリン協奏曲第1番」(独奏=金川真弓)

ドヴォルザーク「交響曲第9番《新世界より》」


2)第638回名曲シリーズ(1月14日、サントリーホール)

ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第3番」(独奏=藤田真央)

チャイコフスキー「交響曲第4番」


3)第605回定期演奏会(1月19日、サントリーホール)

R・シュトラウス「交響詩《マクベス》」

ハルトマン「葬送協奏曲」(ヴァイオリン独奏=成田達輝)

ヒンデミット「交響曲《画家マティス》」


1866年初演のブルッフから1940年初演のハルトマンまで、わずか4分の3世紀の間に書かれた中欧とロシアの作曲家の作品だが、世紀転換期をはさんで様相を大きく異にするうえ、ドヴォルザークとラフマニノフは新大陸のニューヨークで世界初演されている。2008年からフランクフルト歌劇場音楽総監督(GMD)を務め、ムゼウム協会管弦楽団(歌劇場管弦楽団が演奏会を行う際の名称)の定期演奏会でR・シュトラウスの交響詩を連続演奏、ライヴ録音をリリースしてきた指揮者らしく、同じ1888年に作曲されながら完成度も演奏頻度も高い《ドン・ファン》と、真逆の立場に置かれている《マクベス》の両方をとり上げた。ブルッフがユダヤ人作曲家なら、ハルトマンとヒンデミットはドイツ人ながら反ナチスの立場をとり、ヒトラー政権からも「頽廃音楽(Die entartete Musik)」の烙印を押された。


ヴァイグレは「オペラ指揮者」を自認するだけに、交響詩であってもシュトラウスの根本のドラマトゥルギーへの指向を最大限に描く。《ドン・ファン》のユーモアは新春にふさわしく、《マクベス》の露骨な残虐は期せずして、目下の世界のセンティメントに呼応した。チャイコフスキーでは変幻自在に旋律とリズムを動かし、続く「第5番」を想起させる部分にもしっかり光を当て、ドラマの伏線を解き明かした。「僕は劇場指揮者。チャイコフスキーのバレエを数多く振ってきた経験も生きていると思うよ」とは、マエストロ本人の弁。


旧東ドイツ出身のヴァイグレはオトマール・ズヴィートナー(スイトナー)がGMDだった時代からシュターツカペレ・ベルリンの首席ホルン奏者を務め、東西統一後に終身GMDとなったダニエル・バレンボイムの強い推しで「30代になってから」指揮に転じた。読響常任のフランス人前任者、シルヴァン・カンブルランもトロンボーン奏者出身。2代続けて金管楽器出身、オーケストラ在籍経験者がシェフに就いたことで、読響のアンサンブルは密度を上げながら自発性を高め、個人の名人芸が〝for the team〟に(集団のために)帰結する良い流れが持続した。チャイコフスキーのホルンが絶叫を避けて美しい和声を奏で豊かなニュアンスを漂わせたり、ヒンデミットのトロンボーンがコラール風の旋律を吹く際に宗教音楽の風情をしっかり表したり…といった部分に、日本のオーケストラの新境地を実感する。リハーサルに立ち合い、インタビューを重ねる過程で感じるのは、〝楽隊〟出身のヴァイグレが読響楽員を「仲間」と考え、1人1人を独立した人格の音楽家としてリスペクト、「一緒に良い音楽をつくろう!」の協調精神を基本に、職責を嬉々としてこなしている実態だ。


ドヴォルザークとチャイコフスキーの名演も意表を突いたが、ハルトマンとヒンデミットでみせた弦楽器群の緻密で色彩感あふれ、音楽的に雄弁なアンサンブルは、ヴァイグレと読響の予想を上回るケミストリー(化学反応)の現状を雄弁に物語っていた。《マクベス》と《画家マティス》の両者に現れる断崖絶壁のルフトパウゼを通じ、ナチスとの関係は真逆なシュトラウス、ヒンデミットが皮肉にも共有した時代の空気を、シンメトリーのように意識させるなど、恐ろしく周到に組み上げられたプログラムは、客席の熱い共感を誘っていた。


3人のソリストは、いずれも「見事」の一語に尽きる。ヴィルトゥオージティ(名技性)のショウみたいに弾かれがちなブルッフを一貫して格調高く、磐石の技巧と音楽性、しっかりした音で弾ききった金川真弓。ラフマニノフのピアノ芸術(Klavierkunst)の基本がリストやショパン、シューマン、ベートーヴェンよりも前、ハイドンあるいはモーツァルトにあったと確信させる藤田真央の天才的様式感と水際立った技の美音。憑依的といえる集中と慟哭を通じ、ハルトマンへの再評価さえ迫る領域に到達した成田達輝。それぞれがベストと思える解釈とパフォーマンスを示し、「フランクフルトでも若いソリストの起用に力を入れてきた」と語るヴァイグレにしても、日本の若手ソリストの可能性を知る好機となったはずだ。


読響がカンブルランの後任探しを始めた時、ヴァイグレは第1候補ではなかった。様々な事情で現在の形に収まったころ、ヴァイグレもオペラ一極集中から脱し、シンフォニー指揮者としての成就を視野に入れ始めていた。2019年9月の定期でハンス・ロットの「交響曲」を手がけた辺りから両者の歯車が噛み合いだし、その後15か月の中断を経ても「再会後わずか2回目のリハーサルで元通りになった」というほどの相性が育まれていた。COVID-19の世界的拡大(パンデミック)長期化により本拠のフランクフルトだけでなく、ウィーン国立歌劇場、メトロポリタン歌劇場などでの客演指揮は軒並みキャンセルされた。東京で1人暮らしを続ける日々に見慣れたスコアを何度も読み直し読響との公演に集中する過程で、全く新しい次元の音楽が生まれつつある。当初は19日の定期を最後に離日する予定だったが、2月17日からの東京二期会公演《タンホイザー》(ワーグナー)で読響を振るはずの指揮者アクセル・コーバーが来日不能となり、ヴァイグレが代役も引き受け、滞在は2月下旬まで延びた。足掛け4か月にもわたる共同作業が、コンビの今後に与える成果を期待しよう。

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