クラシックディスク・今月の3点(2022年1月)
J・S・バッハ「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ(全6曲)」
諏訪内晶子(ヴァイオリン)
諏訪内が50歳の誕生日(2月7日)に先立ち、初の「バッハ無伴奏」全曲をリリースした。CDデビュー25周年記念盤でもあり、1990年のチャイコフスキー国際音楽コンクール優勝はもはや、遠い過去の通過点となったーーと断言できるほど、今回のバッハ演奏で画期的な地平を切り拓いた。
1732年製グァルネリ・デル・ジュス「チャールズ・リード」を極限まで鳴らしきり、繊細なニュアンスから大きな構造体まで漏れなく、情熱と冷静を兼ね備え、克明に再現していく様は阿修羅のようでもあり、菩薩のようでもある。とにかく「透徹」「快刀乱麻」「円熟」といった言葉のすべてが当てはまる快演に息をのみ、6曲を瞬く間に聴き終えた。
10ー20代の諏訪内は、「弾け過ぎてしまう自分」に悩んでいるようにも見えた。他の人が苦心惨憺する場面でもツルツルスベスベ、たちどころに美しく弾ける技が作品の内面に沈潜するのを阻み、葛藤に乏しい音楽を聴かせないでもなかった。ところが過去10ー15年、激しい踏み込みや破綻を恐れずに心情を吐露する傾向が一気に強まり、演奏の冴えが格段に増した。あくまで諏訪内自身の弛みない精進の結果であり、楽器の変更は副次的要因に過ぎない。2021年6月7−11日、7月10ー13日、オランダ・バールンのホワイト・チャーチでセッション録音。
(デッカ=ユニバーサル ミュージック)
ブラームス「ピアノ四重奏曲第1番」「交響曲第3番(アンドレアス・N・タルクマンによるピアノ四重奏編曲版=世界初録音)」11
ノトス・カルテット(ヴァイオリン=シンドリ・レスラー、ヴィオラ=アンドレア・ブルガー、チェロ=フィリップ・グラハム、ピアノ=アントニア・ケスター)
21世紀初頭の時点ではもしかして、シェーンベルク編曲の管弦楽版の方が頻繁に演奏されている「ピアノ四重奏曲第1番」と、ブラームス4曲の交響曲中で最も内省的な「第3番」を1956年ハノーファー生まれのドイツ人作曲家タルクマンが「ピアノ四重奏曲第4番」のもりで編曲した新版の意表をつくカップリング。後者はブラームス自身が2台ピアノ用に編曲した版をピアノパートに生かし、弦楽パートはタルクマンが自由に創作したという。
2019年の初来日と前後して国内リリースされたデビュー盤でも、長く埋もれていたバルトークの「ピアノ四重奏曲」の世界初録音で注目を集めたように、ノトスはピアノ四重奏曲の領域を自ら進んで広げてきた。テンポや表現の振幅を大きくとり、1人1人がソリストの力をぶつけながら室内楽のミクロコスモスへと収れんさせていくバランス感覚は抜群で、当代きってのユニットといえる。日本でも好評だった「第1番」の隙のないアンサンブルはもちろん、タルクマン編曲のリアリティに富む再現は「オリジナルではないか?」と錯覚させるほどの説得力を備えている。2020年4月14ー18日、ドイツ・ケルン、ドイッチュラントフンクのカンマームジークザールでセッション録音。
(ソニーミュージック)
坂東祐大「TRANCE/花火」
「TRANCE」青葉市子(声)、U-zhaan、石若駿(ドラム)、多久潤一朗(フルート)、上野耕平(サクソフォン)、中川ヒデ鷹(バッスン)、尾池亜美(ヴァイオリン)
「花火ーピアノとオーケストラのための協奏曲」
永野英樹(ピアノ)、杉山洋一指揮新日本フィルハーモニー交響楽団(2017年9月2日、サントリーホールのライヴ録音)
「ドレミのうた」
涂櫻(ソプラノ)、工藤和真(声)、Ensenble FOVE
新進気鋭の作曲家として、クラシック/現代音楽にとどまらず、ドラマ『大豆田とわ子と三人の元夫』や映画『竜とそばかすの姫』などのサウンドトラックから米津玄師等J-POPのトップシーンのアレンジメント、そして直近ではリニューアルされた『報道ステーション』のメインテーマ「Voices」まで縦横無尽に活躍の場を拡げている坂東祐大が現代作曲家として初となる作品集(日本コロムビアのオフィシャルサイトより)。グラフィックデザイナー稲葉英樹によるアートワークに彩られ、坂東と気鋭の音楽評論家・八木宏之との対談をはじめとするブックレットの内容も豊富だ。収められた音楽も、1991年生まれの鬼才の「20代総決算」といえる気迫と発見に満ちている。ディスクを再生した瞬間、ものすごい勢いで、まったく別の世界に吸い込まれていく感覚に陥った。ヨーロッパの先端で活躍する永野、杉山をはじめとして、演奏もさえる。バッハ、ブラームスときて、坂東に終わる「3大B」。
(日本コロムビア)
《特別編》※以前、CDで紹介した音源だが、映像のBlu-rayが出たので改めて紹介する。
「ザ・フェアウェルコンサート・イン・札幌」
ラドミル・エリシュカ指揮札幌交響楽団
スメタナ「歌劇《売られた花嫁》序曲」
ドヴォルザーク「チェコ組曲ニ長調作品39」
リムスキー=コルサコフ「交響組曲《シェエラザード》」
ラドミル・エリシュカ指揮札幌交響楽団、コンサートマスター=田島高宏
2017年10月27&28日、札幌コンサートホールKitaraで行われた札響第604回定期演奏会の記録。エリシュカと札響の深い絆、この演奏会の模様は2017年12月3日公開の「日経電子版」に書いた。
エリシュカ招聘に尽力した音楽プロデューサーの梶吉洋一郎&久美子夫妻が制作したライヴ盤(オフィス・ブロウチェク)も2018年に発売された、エリシュカは翌2019年9月1日に天へ召され、1年後の同日、梶吉洋一郎も亡くなった。多くの人々の思いが札幌で重なり、エリシュカと札響が稀にみる信頼関係を築き、奇跡の音楽を生んだ足かけ12年(2006ー2017)の到達点がライヴ盤には、はっきり刻印されていた…と思っていた。
ところが、梶吉夫妻と交互にライヴ盤を手がけてきた「Altus」レーベルの斉藤啓介が札幌の映像プロダクション、オーテックの収録した画像(札幌交響楽団の依頼で収録)を元に作成したBlu-rayを観て、「かけがえのない共同作業の実態を音だけで語るのは不十分」と悟らざるを得なかった。最後の共演のリハーサルで、エリシュカが楽員たちに語りかける一言一言を聞き逃すまいと真剣に食らいつく楽員たちの表情、本番中お互いを信頼しきって繰り広げる音楽の〝会話〟の充実(真の名演奏)、コロナ禍の今では懐かしい光景に映るブラヴォーの嵐…。何より札幌の聴衆がマエストロに最大の敬意と愛着を示し、立ち去ろうとしない姿が素晴らしい。エリシュカもソロ・アンコールに延々と応え、後ろ髪ひかれる思いで生涯最後のステージを去っていく。長く指揮法の教授を務め、適確きわまりなかったバトンテクニックの詳細も、克明に記録された。この演奏会の後すぐに退任、ALS(筋萎縮性側索硬化症)との闘病を続ける元コンサートマスター、大平まゆみの姿も田島の隣に確認できる。ブックレットには札響事業部長の宮下良介、梶吉久美子が文章を寄せた。涙なしには観られない映像だった。札響創立60周年記念リリース。
(アルトゥス・ミュージック)
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